人的資本開示/業種別の傾向と事例|経理・税務部の実務対応まで解説

「人的資本開示といっても7分野19項目もある。自社の業種では、どの数値までそろえればいいのか」

——有価証券報告書の指標及び目標を前に、経理・財務部でこう迷う声は多く聞かれます。

結論から言えば、人的資本開示は「義務の2分野6項目」を軸に、自社の業種の相場を踏まえて任意項目へ広げていくのが現実的です。全項目を一度にそろえる必要はありません。

本記事は、2026年3月期決算の上場企業約2,400社分の有価証券報告書データをもとに、

(1)人的資本開示の制度全体像
(2)業種別の開示率と数値水準の傾向
(3)女性管理職比率や育成投資などの実名事例
(4)経理・財務部としての関わり方

までを深掘りします。前回のサステナビリティ開示 業種別記事の人的資本版として、より数値に踏み込んだ内容です。

目次

結論

人的資本開示「義務6項目」を固め、業種の相場観で任意項目へ広げる

まず押さえるべきポイントは次の3つです。

  • 有報の義務は限定的
    まず確認すべきは、女性管理職比率・男性育休取得率・男女間賃金差異という多様性3指標(女性活躍推進法・育児・介護休業法に基づき情報を公表している企業が対象)と、人材育成方針・社内環境整備方針、そしてそれらの指標及び目標です。まずここを固めます。
  • 業種で数値水準が大きく違う
    記載された女性管理職比率の中央値は、サービス業が約30%、輸送用機器が約5%と業種差が顕著です。他業種と単純比較せず、同業の相場で見るのが重要です。
  • 経理・財務部は数値の集計・整合の要
    目標と実績の突合や、財務数値との整合チェックは、もともと数字を扱う経理部が力を発揮できる領域です。

以下、この結論を業種別・項目別のデータと実名事例で裏づけていきます。

人的資本開示とは:義務の「2分野6項目」と任意の「7分野19項目」

人的資本開示は、2023年3月期決算から有価証券報告書での記載が始まりました。対象は有価証券報告書を提出する企業で、約4,000社に及びます(出典:金融庁 サステナビリティ情報の開示に関する特集ページ)。

有報で義務化された項目

有価証券報告書で明確に求められるのは、大きく2つの領域です。

1つは多様性に関する数値(管理職に占める女性労働者の割合、男性労働者の育児休業取得率、労働者の男女の賃金の差異)で、これらは主に「従業員の状況」欄で開示され、女性活躍推進法・育児・介護休業法に基づき情報を公表している企業が対象です。

もう1つはサステナビリティ記載欄の人材育成方針・社内環境整備方針と、それらに関する指標及び目標です。

本記事では、この多様性3指標と、人材育成・社内環境整備の方針および関連する指標・目標をあわせて、制度上の正式名称ではなく実務上の整理として「義務6項目」と呼びます。まずはこの範囲を漏れなく記載することが出発点になります。

政府が推奨する「7分野19項目」

これとは別に、内閣官房の「人的資本可視化指針」では、任意で開示することが望ましい枠組みとして7分野19項目が示されています。

7分野とは、育成・エンゲージメント・流動性・ダイバーシティ・健康/安全・労働慣行・コンプライアンス/倫理です(出典:内閣官房 人的資本可視化指針)。義務ではありませんが、投資家の関心が高く、先進企業が記載を広げている領域です。

記載項目別に見る開示率の実態

実際に上場約2,400社の有報(2026年3月期)を集計すると、人的資本まわりの記載項目でも開示率には大きな差があります。

数字は「サステナ開示 文例ナビゲーター」収録データによる概算です。

有報サステナ開示 / 全社横断
サステナビリティ開示
文例ナビゲーター β
有価証券報告書の「サステナビリティに関する考え方及び取組」を、テーマ・業種・会社名から横断検索。
TCFD・GHG削減目標・女性活躍・エンゲージメント…実際の記載文例で引ける。
13,983 文例 22 テーマ 上場 約2,400
検索してみる
記載項目(分野)開示率(概算)記載社数
女性活躍・女性管理職(ダイバーシティ)約57%1,378社
エンゲージメント約50%1,211社
男性育児休業(労働慣行)約39%929社
健康経営(健康・安全)約34%827社
社内環境整備方針約24%574社
人材育成方針(育成)約23%564社
男女間賃金差異約12%285社
リスキリング・学び直し(育成)約9%223社
本記事の数値について(集計方法)
本記事の開示率は、当サイトが「サステナ開示 文例ナビゲーター」に収録した有価証券報告書(2026年3月期以降の提出分・約2,400社。業種別は各業種の収録社数を母数)をもとに、記載欄での各テーマの記載有無を機械的に判定した自社集計です(集計日:2026年7月、判定はβ版のため取りこぼしの可能性があります)。

後掲の女性管理職比率・男性育休取得率は、記載文からの自動抽出で目標値と実績値が混在するため、傾向をつかむ参考値としてご覧ください。なお「男女間賃金差異」などの開示率は、法定開示義務の有無や有報での完全な記載率を示すものではなく、当社データベース上で当該テーマとして抽出・分類された会社の割合です。

金融庁も「事業の状況」での用語出現率など別定義の公式集計を公表しているため、あわせて金融庁 記述情報の開示の好事例集2024もご確認ください。

女性活躍やエンゲージメントは半数前後が記載する一方、人材育成方針の具体化やリスキリング、男女間賃金差異の深掘りは、まだ手薄なことが分かります。裏を返せば、これらは記載すると差がつく領域です。

【業種別】人的資本開示マップ

主要業種ごとに、人的資本の代表的な項目の開示率を並べたのが次の表です(各業種内の企業数を母数とした概算。集計方法は前掲の注記のとおり)。自社業種の行を横に眺めてみてください。

業種女性活躍男性育休エンゲージメント人材育成方針リスキリング男女賃金差異
銀行業66%43%88%40%28%12%
陸運業79%46%68%18%12%12%
電気・ガス業77%41%73%27%14%9%
医薬品61%54%61%20%10%17%
化学62%44%54%29%6%12%
建設業56%40%57%13%14%9%
情報・通信業50%44%48%23%10%14%
小売業62%43%43%25%6%14%
サービス業58%36%38%25%4%14%

「人」の開示で先行する業種

銀行業はエンゲージメントの記載率が88%と突出し、リスキリングも28%と全業種で最も高い水準です。

金融・エネルギー・運輸といった規制と労働集約性の高い業種は、人的資本の記載にも積極的な傾向があります。同業がここまで書いている前提で見られやすいため、記載が薄いと相対的に目立ちやすい点に注意が必要です。

人材育成方針とリスキリングは全業種で手薄

特徴的なのは、人材育成方針(全体約23%)リスキリング(同約9%)が、どの業種でも相対的に低いことです。

建設業の人材育成方針は13%、サービス業のリスキリングは4%にとどまります。研修制度や教育投資は多くの企業が実施しているにもかかわらず、有報の指標及び目標に落とし込めていないケースが多いと考えられます。

ここは経理が数値化を後押しできる余地が大きい領域です。

業種で異なる女性管理職比率の水準

開示率だけでなく、記載されている数値の水準も業種で異なります。有報に記載された女性管理職比率の中央値を業種別に見ると、次のような傾向が読み取れます(目標値・実績値を含むβ自動集計のため、あくまで傾向をつかむ参考値です)。

業種女性管理職比率(記載値の中央値)男性育休取得率(記載値の中央値)
サービス業約30%約80%
小売業約24%約80%
銀行業約20%約100%
情報・通信業約20%約80%
化学約12%約78%
建設業約7%約70%
輸送用機器約5%約83%
全体約15%約80%

女性比率が高い労働集約型のサービス・小売では女性管理職比率の水準が高く、製造・重工系では低いという構造がはっきり出ています。自社の数値を評価するときは、全体平均ではなく「同業の相場」と比べることが大切です。

記載項目別の傾向と実名事例

ここからは、2026年3月期の有価証券報告書から参考になる記載の型を項目別に見ます(いずれも公開情報。出典=EDINET提出の有価証券報告書)。

企業(業種)項目記載のポイント
TOPPANホールディングス(印刷/7911)女性活躍女性管理職比率が目標値14.7%を上回ったと成果まで開示
ジェイリース(金融/7187)女性活躍女性管理職比率 目標25%・実績21.2%を指標及び目標の表で併記
オカモト(ゴム/5122)多様性女性管理職10%(実績8.3%)、男性育休80%(実績65.9%)を年次目標で明示
日本ヒューム(ガラス・土石/5262)多様性女性管理職比率を2032年8%→2037年10%と中長期の二段階目標で開示
大王製紙(パルプ・紙/3880)育成教育研修費を前中計比 約2.4倍に増額し、人財投資を成長基盤と位置づけ
平和不動産(不動産/8803)リスキリングITパスポート取得率を2030年度100%目標(実績6.6%)と定量開示

上記はいずれも2026年3月期の有価証券報告書に基づく記載です(企業名の後ろの数字は証券コード)。各社の原文は、EDINETで証券コードまたは会社名から「有価証券報告書(2026年3月期)」を検索すると確認できます。

引用・利用の際は、必ず原本で数値と文脈をご確認ください。

女性活躍:目標と実績のギャップを隠さない

信頼される女性活躍の記載は、実績が目標に届いていなくても正直に併記しているものです。

ジェイリースは目標25%・実績21.2%、オカモトは目標10%・実績8.3%というように、達成状況をそのまま開示しています。TOPPANのように目標を上回った成果を書ける企業もありますが、多くは「未達だが計画あり」の状態です。

投資家は現状把握と計画の有無を重視するため、ギャップの開示はむしろ加点要素になり得ます。

男性育休・男女賃金差異:数値の裏取りが要る

男性育休取得率男女間賃金差異は、算定方法によって数値が変わりやすい項目です。

日本ヒュームのように男性育休100%目標を掲げる企業もあれば、実績を保守的に開示する企業もあります。ここは経理・人事の連携で、算定根拠をそろえておくことが後々の説明責任につながります。特に男女間賃金差異は全体の開示率が約12%と低く、記載する場合は注記で算定範囲を明確にしておくのが安全です。

育成・リスキリング:投資額まで書けるか

育成リスキリングは開示率が低い分、踏み込んで書くと先進性が伝わります。

大王製紙は教育研修費を前中計比 約2.4倍に増額したと投資額の方向性まで開示し、平和不動産はITパスポート取得率を100%目標(実績6.6%)と定量化しています。タカラスタンダードのように副業制度を通じた自律的キャリア支援を打ち出す例もあります。

抽象的な「人材育成に努めます」で止めず、金額・比率・制度名まで落とし込めるかが差になります。

経理・財務部としての人的資本開示へのかかわり方

人的資本開示は人事・サステナ部門の担当と思われがちですが、指標及び目標の集計整合性の確認は経理・財務部の得意分野です。

関与の深さは次の3段階で整理できます。

項目レベル1:数値のとりまとめレベル2:整合性の番人レベル3:戦略への接続
主な役割人事から義務6項目のデータを集約目標と実績・他項目との整合を確認人的資本KPIと財務計画をつなぐ
必要スキル集計・様式管理開示制度・算定根拠の知識管理会計・IRリテラシー
向いている段階開示初年度・体制構築中2〜3年目・精度向上フェーズ保証や統合報告を見据える企業
最初の3か月ですること6項目の出所・担当の一覧化前期記載と算定範囲の突合研修投資などの費用の見える化

多くの経理部はレベル1から始まります。

女性管理職比率や育休取得率が「どの台帳の、どの定義で出てくるのか」を一覧化するだけでも、翌期の精度と効率は大きく変わります。教育研修費のように費用として経理が把握している数字は、そのまま人的資本の指標に活かせる強みです。

明日から始める具体的な5ステップ

自社の人的資本開示を、業種の相場観を持って進めるための手順です。

ステップ1:義務6項目の記載状況を棚卸しする

女性管理職比率・男性育休取得率・男女間賃金差異と、人材育成方針・社内環境整備方針、指標及び目標について、前期有報での記載有無を一覧化します。抜けている必須項目があれば最優先で対応します。

ステップ2:数値の出所と算定根拠を整理する

各数値がどの部門の、どの台帳から、どの定義で出るのかを整理します。特に男女間賃金差異は算定範囲で数値が変わるため、注記に書ける形で根拠を残しておきます。

ステップ3:同業の記載例をナビゲーターで引く

同業・近い規模の会社がどう書いているかは、サステナ開示 文例ナビゲーターで業種別に検索できます。「開示率ランキング(サマリ)」で業種を絞り込めば、自社業種の相場と記載例をまとめて確認できます。

ステップ4:目標と実績の整合をチェックする

指標及び目標の表で、目標年度・目標値・実績値がそろっているか、他の記載(従業員の状況など)と矛盾がないかを確認します。未達でも計画とセットで示せば問題ありません。

ステップ5:育成投資など「経理が持つ数字」を活かす

教育研修費福利厚生費など、経理がすでに把握している数字を人的資本の指標に接続します。金額を出せると、育成・リスキリングという手薄な領域で差をつけられます。

開示の工数と、これからのスケジュール感

ここでは、経理・財務部が気にする工数と時期の見通しを整理します。いずれも制度動向を踏まえた見込みであり、確定情報ではない点にご留意ください。

直近(2026〜2027年):義務項目の精度を上げるフェーズ

多くの企業は義務6項目を満たしつつ、任意項目を充実させている段階です。

この時期に数値の集計体制と算定根拠を整えておくと、後の負荷を抑えられる見込みです。

今後:保証・SSBJ適用を見据えるフェーズ

2025年3月5日に公表されたSSBJ基準は、2026年3月13日に一部改正されました。

有価証券報告書での具体的な適用対象・時期は、SSBJ基準ではなく金融庁が法令で定める予定で、実務上は、時価総額の大きいプライム上場企業から段階的に適用対象が広がる方向で検討が進んでいます。第三者による保証も視野に入り、人的資本の数値も裏付けとトレーサビリティが問われるようになると見込まれます(適用時期・対象範囲は今後の公表資料で最終確認が必要です。出典:SSBJ サステナビリティ開示基準)。

中小・スタンダード市場:義務6項目から着実に

7分野19項目のすべてを一度にそろえる必要はありません。

まずは有報の義務6項目を確実に固め、自社の業種特性に合った任意項目から積み上げるのが現実的です。

よくある質問(FAQ)

Q1. 人的資本開示で「必ず書くべき項目」は何ですか?

有価証券報告書では、女性管理職比率・男性育休取得率・男女間賃金差異という多様性の数値(女性活躍推進法・育児・介護休業法に基づき情報を公表している企業が対象)と、人材育成方針・社内環境整備方針、そしてそれらの指標及び目標が求められます。

7分野19項目は任意の推奨枠組みで、まずはこれらの項目を確実に記載することが出発点です。

Q2. 女性管理職比率は何%あればよいのですか?

一律の基準はありません。

データ上、記載された女性管理職比率の中央値は全体で約15%ですが、サービス業は約30%、輸送用機器は約5%と業種差が大きいのが実態です。全体平均ではなく同業の相場と比べ、自社の目標と実績を併記することが重要です。

Q3. 目標に実績が届いていなくても開示すべきですか?

はい。

未達であっても、目標・実績・今後の取組をセットで開示するのが望ましい姿です。実データでも、目標を下回る実績を正直に併記している企業は多く、投資家は達成率よりも現状把握と計画の有無を重視します。数値を隠す方が信頼を損ないます。

Q4. 男女間賃金差異の数値がうまくそろいません。どうすればよいですか?

男女間賃金差異は算定範囲(正社員・パート・全体など)で数値が変わります。

まず算定範囲を決め、注記で明確にしたうえで開示するのが安全です。開示率が約12%と低い項目なので、根拠を丁寧に示すだけでも記載の質で差がつきます。

Q5. 経理部はどこから関わればよいですか?

まず義務6項目の数値について、出所・担当・算定定義を一覧化することから始めるのが効果的です。

教育研修費のように経理がすでに持つ数字は人的資本の指標に直結します。数値のとりまとめと整合性チェックは経理の強みが活きる領域です。

まとめ

義務6項目を固め、業種の相場観で任意項目へ

人的資本開示は、業種によって書く項目も数値水準も大きく異なります。要点を整理します。

  • 有報の義務は多様性3数値+育成・環境の方針と指標。まずここを漏れなく固める。
  • 女性管理職比率の水準はサービス業約30%〜輸送用機器約5%と業種差が大きく、同業比較が必須。
  • 人材育成方針・リスキリング・男女賃金差異は全業種で手薄。踏み込むと差がつく領域。
  • 経理・財務部は数値の集計・整合の要。教育研修費など自社が持つ数字を活かせる。

まずは自社の業種の相場を確認するところから始めてみてください。

サステナ開示 文例ナビゲーターで業種を絞り込めば、同業の開示率と実際の記載例を数分で把握できます。そのうえで、義務6項目と数値の算定根拠から着実に固めていくのが、保証・制度整備の波に慌てないための最短ルートです。

有報サステナ開示 / 全社横断
サステナビリティ開示
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有価証券報告書の「サステナビリティに関する考え方及び取組」を、テーマ・業種・会社名から横断検索。
TCFD・GHG削減目標・女性活躍・エンゲージメント…実際の記載文例で引ける。
13,983 文例 22 テーマ 上場 約2,400
検索してみる

参考一次情報

最終更新日:2026年7月7日
※本記事は一般的な情報提供を目的としており、個別の税務・会計判断は税理士または公認会計士にご相談ください。

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