棚卸資産の評価損は監査で何を見られる?KAM163社分析による着眼点

期末在庫の評価損を計上した(あるいは計上しなかった)とき、監査人は具体的に何を確認しに来るのか。

「評価損の根拠を説明できる資料を用意しておきましょう」という一般論はよく目にしますが、「では実際にどの資料を、どのレベルまで」の答えはなかなか見つかりません。

実は、その答えの多くはすでに公開情報の中にあります。上場企業の監査報告書に記載されるKAM(監査上の主要な検討事項:監査人が特に重要と判断した論点と、実施した監査上の対応を記載する制度)には、監査人が棚卸資産の評価損に対して「実際に何をしたか」が会社ごとに書かれているからです。

本記事では、2025年7月〜2026年6月に提出された有価証券報告書のうち、棚卸資産の評価をKAMに選定した163社の記載を集計し、監査手続の言及率・簿価切下げ方法の実態・会社側が準備すべき資料を、データで整理します。全事例を検索できる無料ダッシュボードも公開しています。

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目次

結論:評価損の監査は「計算の正しさ」より「見積りの根拠」を見られる

163社のKAM記載を横断すると、監査人の関心は明確に一点へ収束しています。評価損の金額計算そのものではなく、その前提となる「経営者の見積り」がどう裏付けられているかです。

  • 内部統制の評価に言及したKAMは85%
    評価損の計算以前に、在庫データ(受払・単価・滞留期間)の正確性・網羅性を担保する仕組みが見られています。
  • 正味売却価額(NRV:売価から見積追加コストを控除した額)の検討は80%
    期末後の販売実績・受注価額と帳簿価額の突合が監査手続の中心です。
  • 販売計画・需要予測など「将来の仮定」の検討は64%
    滞留期間ルールで機械的に切り下げていても、その先の販売見込みの合理性まで問われます。

つまり監査対応の本質は、決算日後にあわてて評価損計算シートを整えることではなく、期中から「見積りの根拠が残る」在庫管理をしておくことにあります。

以下、データの中身を順に見ていきます。

なぜ棚卸資産の評価損は監査の重点項目になるのか

会計上、通常の販売目的で保有する棚卸資産は、期末の正味売却価額が取得原価を下回る場合に帳簿価額を切り下げます(企業会計基準第9号「棚卸資産の評価に関する会計基準」)。

また税務上は、評価損の損金算入が災害による著しい損傷や著しい陳腐化などの事実がある場合に限定されており(法人税法第33条、法人税基本通達9-1-4以下)、会計と税務で要件が異なる点も実務を複雑にしています(出典:国税庁 法人税基本通達 第2款 棚卸資産の評価損)。

評価損の計上要否と金額は、正味売却価額の見積り、滞留品の販売可能性、将来の需要予測といった経営者の主観的な判断に大きく依存します。だからこそ監査人にとってリスクの高い領域であり、KAMに選ばれやすいのです。

KAM制度で「監査人の着眼点」が公開情報になった

KAMは2021年3月期から上場企業の監査報告書で強制適用となった制度です。

監査人が「当年度の監査で特に重要と判断した事項」について、選定理由と実施した監査上の対応を記載します。これにより、従来はブラックボックスだった「監査人が棚卸資産の何をどう見るか」が、会社ごとの具体的な手続レベルで読めるようになりました。

163社のKAMを集計してわかること

当サイトでは、EDINETを用いて、直近1年(2025年7月〜2026年6月提出)の有価証券報告書の監査報告書から「棚卸資産の評価」をテーマとするKAM163社分を収集し、原文全文と集計をKAM事例ナビゲーター|棚卸資産の評価(163社)として公開しています。

業種は卸売業26社・電気機器24社・不動産業17社・機械16社・小売業13社と幅広く、監査法人はトーマツ25社・あずさ25社・太陽21社・EY新日本20社など大手から中小まで含まれます。本記事の数値はすべてこの163社の集計に基づきます。なお163社のうち104社は2026年3月期の有価証券報告書であり、直近の決算実務を反映したデータといえます。

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【手続別】監査人が実際に見る10の監査手続と言及率

163社のKAM「監査上の対応」欄に記載された監査手続10種類に分類し、言及率の高い順に、会社側が準備すべき資料と対応させたのが次の表です。

監査手続言及率監査人がすること会社側で準備すべき資料
内部統制の評価85%在庫評価プロセスの整備・運用状況の検証評価プロセスの文書化(基礎データの正確性・網羅性の統制を含む)
正味売却価額の検討80%NRVと期末後の販売実績・受注価額の比較期末後販売実績、直近の売価表、値引販売の記録
販売計画・需要予測等の仮定の検討64%将来の販売見込みの合理性の評価販売計画と根拠(受注状況・市場データ・過年度トレンド)
滞留・回転期間分析57%在庫年齢と評価ルールの適用状況の検討在庫年齢表(滞留期間別残高)、滞留判定基準の社内規程
証憑照合・再計算56%評価損計算の再実施、基礎データとの突合評価損計算シートの計算過程と根拠証憑
見積りと実績の遡及比較50%過年度の評価損見積りと実績の差異分析前期見積りと当期実績(廃棄・値引販売)の比較資料
評価方針・計上の承認の検証34%承認プロセスの確認取締役会・稟議等の承認記録
専門家の利用17%不動産鑑定等の外部評価の利用外部専門家の評価資料(販売用不動産等)
実地棚卸の立会・現物確認10%滞留・毀損品の現物確認実地棚卸の実施記録と差異調整
監査人独自の見積り・感応度検討4%仮定を変動させた独自試算との比較シナリオ別の評価損試算

「標準セット」は内部統制とNRVの検討

内部統制の評価(85%)正味売却価額の検討(80%)は、業種や規模を問わずほぼ確実に実施される標準セットです。とくに内部統制については、163社中53社が「基礎データの正確性・網羅性を担保する統制」に、31社が「IT・システムによる評価計算の統制」に踏み込んで言及しています。

在庫マスタの滞留日数が手作業で更新されているような会社は、まずここを指摘されると考えるべきでしょう。

滞留分析は57%。ただし「機械的な切下げで終わり」にはならない

滞留・回転期間分析への言及は57%で、販売計画等の仮定の検討(64%)を下回ります。

これは、滞留期間に応じた規則的切下げを採用している会社でも、監査人は「そのルールが収益性低下の実態を反映しているか」「ルールの外にある在庫の販売見込みは合理的か」まで確認していることを意味します。ルールがあるから安心、とはならない点に注意が必要です。実際、規則的切下げを併用する49社の多くで、切下げ率の設定根拠や過年度の廃棄実績との整合性を確かめる手続が記載されていました。

踏み込んだ手続が来たら「リスクが高い」と見られているサイン

外部専門家の利用(17%)は販売用不動産を保有する会社に集中し、実地棚卸の立会への言及(10%)、監査人独自の見積り・感応度検討(4%)は少数派です。

逆に言えば、これらの手続を求められた場合、監査人が自社の評価に相対的に高いリスクを見ている可能性があります。

簿価切下げの「型」の実態:NRV型66%・併用型30%

163社のKAM本文から、各社が採用する簿価切下げの方法を分類すると、実務の相場観が見えてきます。

簿価切下げの型社数(構成比)内容多い業種の例
NRV切下げ型107社(66%)正味売却価額が取得原価を下回る場合に切下げ卸売業、食料品、不動産業
併用型(NRV+規則的切下げ49社(30%)NRV切下げに加え、滞留期間に応じ規則的に帳簿価額を切下げ電気機器、機械、精密機器
則的切下げ型2社(1%)滞留期間ルールのみに言及
型の記載なし5社(3%)KAM本文からは判別不能

製品ライフサイクルが短く滞留リスクの高い電気機器・機械では併用型が目立ち販売用不動産を扱う会社(163社中21社)では物件単位のNRV評価と外部鑑定を組み合わせるのが典型例です。

また、備忘価額・ゼロ評価・処分見込価額への言及も15社で見られました。自社の型と同じ会社のKAMを読むことが、監査対応の最短の予習になります。

監査対応を予習する具体的な5ステップ

データを踏まえ、決算前に自社でできる準備を5つのステップに落とし込みます。

ステップ1:自社の評価ルールを棚卸しする

評価基準(原価法・低価法)、NRVの算定方法、滞留判定の期間区分と切下げ率、ゼロ評価・廃棄の基準を1枚に整理します。

「ルールが文書化されていない」こと自体が内部統制の指摘対象になり得ます。

ステップ2:同業種・同じ型のKAM事例を読む

KAM事例ナビゲーターで自社の業種・簿価切下げの型・監査法人で絞り込み、監査人が実施した手続の原文を確認します。

担当監査法人が他社の棚卸資産KAMでどんな手続を書いているかは、翌期の監査計画を推測する有力な材料です。

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ステップ3:在庫年齢表とNRV資料を期中から整備する

滞留期間別の在庫残高一覧(在庫年齢表)と、期末後販売実績・受注価額の一覧は、上表のとおり最頻出の依頼資料です。決算後に手作業で作るのではなく、システムから定期出力できる状態にしておくと、監査対応の工数が大きく下がります。

とくに在庫年齢表は、滞留判定基準の期間区分(例:6か月・1年・2年超)と同じ区分で出力できるようにしておくと、評価損計算シートとの突合がそのまま監査証拠として機能します。

ステップ4:前期の見積りと当期実績の差異分析を自分でやっておく

見積りと実績の遡及比較は50%のKAMで言及される手続です。

前期に評価損を見積もった在庫がその後どうなったか(廃棄・値引販売・簿価超の販売)を自社で先に分析し、差異の原因を説明できるようにしておけば、監査人からの質問は大幅に短縮できます。

ステップ5:評価方針の変更は監査人と早期に協議する

滞留期間区分や評価損率の変更は、見積りの変更として当期損益に影響します。

期末間際の変更は「利益調整ではないか」という目で見られやすいため、変更理由の文書化と監査人への早期相談が安全です。四半期レビューの段階で論点を出しておけば、期末監査での手戻りを避けられます。

会計と税務のズレ:評価損は損金になるとは限らない

監査対応と並ぶ実務のつまずきどころが、会計上の評価損税務上の損金算入ズレです。

論点会計(企業会計基準第9号)税務(法人税法33条・基本通達9-1-4以下)
計上・算入の要件正味売却価額が取得原価を下回れば切下げ(収益性の低下)災害による著しい損傷、著しい陳腐化等の事実が必要
単なる物価変動・過剰生産NRVが下がれば評価損計上原則、損金不算入
必要なエビデンスNRVの見積り根拠、滞留・販売見込み資料陳腐化等の事実を示す記録(既往の実績、処分実績等)
ズレの帰結申告調整(加算)と税効果会計の対象

会計上正しく評価損を計上しても、税務上は損金と認められず申告加算となるケースは珍しくありません。このズレは将来減算一時差異として繰延税金資産の回収可能性の論点にもつながります。

詳細は税理士・公認会計士への相談をおすすめします。

よくある質問(FAQ)

Q1. 棚卸資産の評価損は、どんな会社でも監査のKAMになるのですか?

必ずではありません。

KAMは監査人が「当年度の監査で特に重要」と判断した事項であり、在庫の金額的重要性が高い会社、滞留リスクや価格変動リスクの大きい業種で選ばれやすい傾向があります。今回の163社では総資産の2〜3割を在庫が占める会社が多く見られました。KAMに選ばれていなくても、監査手続自体は同様に実施されます。

Q2. 滞留期間に応じた規則的な切下げをしていれば、監査は問題ありませんか?

ルールがあること自体は評価されますが、それだけでは足りません。

会計基準は「収益性の低下の事実を適切に反映する」ことを求めており、監査人は切下げ率や期間区分が実態(実際の廃棄・値引販売の実績)に合っているかを検証します。163社の集計でも、規則的切下げを採用する会社の多くで、販売計画等の仮定の検討や遡及比較が併せて実施されています。

Q3. 監査人にはどの資料を準備しておけばよいですか?

頻度順に、在庫評価プロセスの文書化、期末後販売実績とNRV算定資料、販売計画とその根拠、在庫年齢表と滞留判定基準、評価損計算シートと根拠証憑、前期見積りと実績の差異分析、承認記録です。

本文の手続別テーブルが、そのまま準備資料のチェックリストとして使えます。

Q4. 会計で計上した評価損は、税務でもそのまま損金になりますか?

なりません。税務上の評価損の損金算入は、災害による著しい損傷や著しい陳腐化など、法人税法施行令に定める事実がある場合に限られます。

単なる物価変動・過剰生産・建値の変更による評価損は原則として損金不算入で、申告調整が必要です。該当の可否は事実認定の問題になるため、根拠資料の保存と専門家への確認が重要です。

Q5. 自社の棚卸資産の評価がKAMに選ばれたら、悪いことなのでしょうか?

いいえ。KAMは不正や誤りの指摘ではなく、「見積りの不確実性が高く監査上重要な領域」を透明化する制度です。

むしろ同業他社のKAMと読み比べることで、自社の評価プロセスの改善点や、監査人が翌期に重点を置きそうな領域を先回りして把握できます。

まとめ:163社のKAMは「監査対応の予習帳」になる

本記事の要点を整理します。

  • 棚卸資産の評価損の監査は、計算の正しさより見積りの根拠が焦点。内部統制85%・NRV検討80%が標準セット
  • 簿価切下げはNRV型66%・併用型30%が実務の相場。自社の型と同じ会社の事例が最良の教材
  • 準備資料は手続と1対1で決まる。在庫年齢表・期末後販売実績・差異分析を期中から整備する
  • 会計上の評価損と税務上の損金算入は要件が異なり、申告調整と税効果への波及に注意

まずはKAM事例ナビゲーター(無料・163社収録)で、自社と同じ業種・監査法人の事例を1件読むところから始めてみてください。

監査人が来る前に「何を聞かれるか」がわかっているだけで、決算対応の景色は大きく変わります。

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