原価計算のKAM事例37社分析|監査人が見る個別・総合原価の要点

「原価計算がKAM(監査上の主要な検討事項)に選ばれると、監査人は何を見に来るのか」

——経理部で決算を担う方も、監査を担当する会計士も、案外この相場観を持てずにいます。金融庁や監査法人の資料はPDFで長大なうえ、業種ごとにばらばらだからです。

結論から言うと、原価計算がKAMになる場面は「原価計算そのものの正確性」を問うものばかりではありません。むしろ収益認識・棚卸資産評価・資産計上といった見積りの土台として登場するケースが多数を占めます。

本記事は、直近1年の有価証券報告書からEDINETで「原価計算」に触れたKAM37社を全件収集し、論点タイプ・会社が採用する原価計算方法(個別/総合)・監査手続の言及率という3つの切り口で整理したものです。末尾では、37社のKAM原文をその場で検索・比較できるダッシュボードも紹介します。

🔍 KAM事例ナビゲーター|原価計算(37社を収録)

直近1年の有価証券報告書から原価計算のKAM原文を全件収録。論点タイプ・原価計算方法(個別/総合)・業種・監査法人・監査手続で検索でき、監査手続の言及率や監査対応チェックリストまで確認できるインタラクティブ・ダッシュボード。

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目次

結論:

原価計算のKAMは「原価計算そのもの」より「見積りの土台」として問われることが多い

37社を分析した結論は、次の3点に集約できます。

  • 論点の主役は収益認識と評価
    工事・受託の原価総額/進捗度が11社、引当金・棚卸資産評価など原価を用いる他の見積りが11社で、あわせて全体の約6割。原価計算は多くの場合「他の会計上の見積りの入力値」としてKAMに現れます。
  • 監査人がまず見るのは内部統制
    37社すべてで内部統制の評価に言及し、再計算・証憑突合が73%と続きます。原価計算システムやIT統制への言及も43%あり、システム依存度の高さが表れています。
  • 会社の原価計算方法は個別が主流
    方法を特定できた23社のうち個別原価計算が18社。工事・受託・ソフト開発など「案件別に原価を積む」ビジネスがKAMの中心にいます。

以下、それぞれの切り口を順に見ていきます。数字はすべて有価証券報告書(監査報告書)の原文にもとづく実測値です。

なぜ原価計算が「監査上の主要な検討事項(KAM)」になるのか

KAM(Key Audit Matters)は、監査人がその年の監査で特に重要と判断した事項を監査報告書に記載する制度です。日本では2021年3月期に係る監査から強制適用されました(2020年3月期での早期適用も認められていました)。監査人が「特に注意を払った領域」を投資家に開示する仕組みで、会社の見積りの重要性やリスクが色濃く反映されます(参考:日本公認会計士協会 KAM関連情報)。

原価計算がKAMになりやすい3つの理由

第一に、見積りの塊である点です。

工事や受託開発では、完成までにかかる総原価を見積もり、その進捗度で収益を認識します。総原価の見積りが動けば損益が動くため、監査人の関心が集中します。

第二に、システム依存です。

原価計算は生産・販売・会計の各システムからデータを集約して計算するため、データ連携やIT統制の不備が金額に直結します。実際に、システム更新に伴う不備がKAMになった事例もありました。

第三に、原価が他の見積りの入力値になる点です。

棚卸資産の評価(正味売却価額との比較)、製品保証引当金、資産計上額の算定——いずれも原価計算の結果を土台にしています

37社の全体像

収集対象は、EDINETで監査報告書に「原価計算」を含む有価証券報告書37社(2025年8月〜2026年6月提出)です。建設からソフトウェア、食品、精密機器まで業種は幅広く、原価計算が特定の業種だけの論点ではないことが分かります。

業種は情報・通信業8社、電気機器7社、サービス業7社が上位で、精密機器・機械・建設業が各3社と続きます。監査法人別ではトーマツが17社と最多でした(出所:EDINET 有価証券報告書)。

【論点タイプ別】原価計算KAMの5分類マップ

原価計算がKAMに現れる文脈を、記載内容から5つに分類しました。件数の多い順に並べています。

論点タイプ社数典型的な業態監査人の主な着眼点
工事・受託の原価総額/進捗度11建設・エンジニアリング・受託開発・工事原価総額(見積総原価)の見積り精度
・進捗度の算定
原価を用いる他の見積り(引当金・棚卸評価)11製造・卸売・小売・製品保証引当金/棚卸資産評価の基礎となる原価の妥当性
ソフトウェア制作原価の集計・資産化9情報・通信・開発原価の集計単位
・資産計上額プロセス
・原価計算プロセス
製造原価計算の正確性・原価差額4製造(食品・化学ほか)・原価計算の正確性
・原価差額の配賦計算
原価計算システムの不備・特殊事象2製造・システム更新に伴う内部統制
・決算プロセス

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工事・受託とソフトウェアが「原価計算KAM」の中心

最も多いのは、工事契約や受託開発で「一定の期間にわたり収益を認識する」際の総原価の見積りです。

たとえば建設業の会社では「個別原価計算による適切な工事別損益の認識」がそのままKAMのタイトルになっています。ソフトウェア開発でも、制作費をどの単位で集計し資産計上するかがKAMの中心論点です。

「原価を用いる他の見積り」という見落としがちな型

製品保証引当金棚卸資産の評価がKAMのタイトルでも、その根拠として原価計算資料が使われるケースが11社ありました。

原価計算そのものが主役でなくても、監査人は原価の集計プロセスを検証します。原価計算KAMを「原価計算基準の話」だけと捉えると、この型を取りこぼします。

原価差額の配賦とシステム不備という論点

製造原価計算そのものがKAMになる事例もあります。

食品メーカーでは「原価差額の配賦計算の正確性」がKAMとなり、組別工程別総合原価計算のもとでの配賦が製品在庫金額に与える影響が検証対象でした。

電子部品メーカーでは、生産・販売・会計データを取り込んで自動計算する原価計算システムを構築したため、「工場における原価計算の正確性」としてシステム入力の網羅性・正確性が問われています。

また、基幹システムの更新で原価計算機能が業務に適用できず、システム外で原価計算を行った結果、決算手続が適時にできず作業が遅延し、内部統制の開示すべき重要な不備として扱われた事例もありました。原価計算は「計算方法」だけでなく「回す仕組み」そのものも問われます。

会社の原価計算方法別(個別・総合・併用)で監査の重点はどう変わるか

有価証券報告書の製造原価明細書「原価計算の方法」注記とKAM本文から、各社が採用する原価計算方法を特定しました。特定できたのは37社中23社です。

原価計算方法社数代表的な業態監査で重点になりやすい点
個別原価計算18工事・受託開発・ソフト・案件別の原価集計の正確性
・見積総原価と実績の差異
総合原価計算(組別・工程別等)4食品・電機などの量産・原価差額の配賦
・期間帰属
・配賦基準の合理性
個別・総合の併用1受注生産+量産の混在・製品群ごとの計算方法の使い分けと整合
記載なし(製造原価明細書なし等)14持株会社・IFRS適用・商社・サービス・原価計算方法よりデータ集計/評価の枠組み

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個別原価計算が主流なのは「案件別ビジネス」がKAMの中心だから

個別原価計算が18社と圧倒的でした。

工事・受託開発・ソフト開発はいずれも案件ごとに原価を積み上げるため、監査人は「案件別の原価が正しく集計され、見積総原価が適時に見直されているか」を重点的に見ます。

個別原価計算は性質上、集計誤りのリスクが相対的に高いとされる点も、KAM選定の背景にあります。

総合原価計算では「配賦」が主戦場

量産型の製造業で採用される総合原価計算では、原価差額をどう製品や棚卸資産に配賦するかが論点になります。

配賦計算の正確性が在庫金額に直結するため、監査人は配賦基準と計算プロセスを検証します。

「記載なし」14社が示すもの

方法を特定できなかった14社は、持株会社・IFRS適用会社・商社・サービス業など、そもそも製造原価明細書を持たない業態です。これらは「原価計算の方法」より、原価データの集計や評価の枠組みが問われます。

たとえばIFRSを適用する大手小売業では、経営者が設定した原価計算方法棚卸資産の評価方法が、適用される会計基準に照らして妥当かどうかがKAMの検証対象になっていました。原価計算方法の記載がなくても、原価の考え方そのものは監査の視野に入ります。

立場別に見る原価計算KAMの使い方:経理部・監査人・投資家

同じKAMでも、読む立場によって使いどころが変わります。本記事の読者である経理部と監査人を中心に整理しました。

立場このKAMが意味すること準備・着眼のポイント
経理部(被監査側)自社の原価計算が「監査の重点」になり得る・原価計算の内部統制文書
・実行予算/見積総原価の承認記録
・過年度の見積りと実績の差異分析を整える
監査人同業種・同論点で他法人が何を手続にしたかの相場観・論点タイプ別に標準手続(内部統制→再計算・突合→システム→配賦)を設計し、記載の抜けを点検
投資家・アナリスト会社の利益が「原価の見積り」にどれだけ依存するか・KAMの選定理由から見積りの不確実性の所在を把握し、業績の質を評価

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経理部にとってKAM事例集は「監査人が来年何を聞いてくるか」の予習教材になります。監査人にとっては、担当外業種の記載を横断して見ることで、自分の手続の網羅性を点検できます。

監査人は原価計算の何を見に来るか——手続の言及率と経理の備え

37社のKAM「監査上の対応」に記載された手続を集計しました。言及率が高いほど「標準的に実施される手続」と読めます。

監査手続言及率(37社中)会社側で準備すべき主な資料
内部統制の整備・運用評価100%原価計算の統制文書(データ入力・承認・IT全般統制)
再計算・証憑突合73%原価計算資料と総勘定元帳・製造原価報告書の突合資料
承認・決裁プロセスの検証57%原価・予算・開発案件の承認記録、稟議・議事録
原価計算システム/IT統制43%計算ロジック・データ連携・IT全般統制の整備運用資料
原価集計・配賦計算の検証43%配賦基準、工数・作業時間の集計根拠、原価差額の配賦資料
実行予算・見積総原価との照合27%実行予算書・見積総原価の算定根拠と予実対比
見積りと実績の遡及比較24%過年度の見積原価と確定原価の差異分析

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経理部が明日から始める5ステップ

KAMになったとき慌てないために、経理部が着手できる順序を整理します。

  1. 自社の原価計算方法を1行で言語化する
    「実際原価による個別原価計算」「組別工程別総合原価計算」など、有報の注記どおりに説明できる状態にします。
  2. 内部統制を文書化する
    データ入力から承認、原価集計・配賦、IT全般統制までを図と文章で残します。言及率100%の領域です。
  3. 見積総原価の承認記録と予実差異をそろえる
    実行予算書・見積総原価の根拠と、過年度の見積りと実績の差異分析をひとまとめにします。
  4. 原価計算システムの計算ロジックとデータ連携を説明できるようにする
    システム更新があった年は特に、連携と設定変更の記録を整えます。
  5. 同業種のKAM事例を読む
    監査人が何を手続にしているかを事前に把握し、想定問答を作ります(次章のダッシュボードが役立ちます)。

37社のKAM原文をダッシュボードで引く

本記事の分析のもとになった37社のKAMは、検索・絞り込みできるダッシュボードとして公開しています。論点タイプ・原価計算方法・業種・監査法人・監査手続の5軸で絞り込み、各社のKAM原文(全文)をその場で読めます。

たとえば「自社は個別原価計算の受託開発業」なら、

  • 原価計算方法=個別
  • 論点タイプ=ソフトウェア

で絞れば、近い立場の会社の記載と監査手続がまとめて確認できます。
監査人は担当業種で絞って手続の網羅性を点検できます。

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よくある質問(FAQ)

Q1. 原価計算はどんなときにKAMになりますか?

単独で「原価計算の正確性」が問われることもありますが、37社の分析では、工事・受託の総原価の見積り、棚卸資産評価や引当金の基礎、ソフトウェア制作原価の資産化など、他の会計上の見積りの土台としてKAMになるケースが多数でした。

原価の見積り性・システム依存度・金額的重要性が高いほど選定されやすい傾向があります。

Q2. 個別原価計算と総合原価計算で監査対応は変わりますか?

重点が変わります。

個別原価計算では案件別の原価集計の正確性と見積総原価の見直しが中心になり、総合原価計算では原価差額の配賦計算や期間帰属が主戦場になります。まずは自社の方法を有報の注記どおりに説明できるようにしておくことが出発点です。

Q3. 監査人が必ず実施する手続は何ですか?

37社すべてで内部統制の評価に言及がありました。

次いで再計算・証憑突合(73%)、承認・決裁プロセスの検証(57%)が続きます。原価計算システム/IT統制への言及も43%あり、システム面の統制が重視されていることが分かります。

Q4. KAMはいつから、どの会社に適用されていますか?

日本では2021年3月期に係る監査から金融商品取引法上の監査で強制適用されています(2020年3月期での早期適用も可能でした)。

上場企業などが対象です。個別の適用範囲は監査人・専門家にご確認ください。

Q5. 自社のKAMが原価計算だった場合、まず何を準備すべきですか?

言及率が最も高い内部統制の文書化から着手するのが効率的です。

あわせて、実行予算・見積総原価の承認記録、過年度の見積りと実績の差異分析、原価計算システムの計算ロジックとデータ連携の説明資料をそろえておくと、監査人の質問に一次資料で答えやすくなります。

まとめ:原価計算KAMは「土台」として読むと本質が見える

原価計算のKAMを分析した要点は次のとおりです。

  • 原価計算は「そのものの正確性」より、収益認識・棚卸評価・資産計上といった見積りの土台としてKAMに現れることが多い(工事・受託11社+他の見積り11社で約6割)。
  • 会社の原価計算方法は個別原価計算が主流(特定23社中18社)。方法によって監査の重点が変わる。
  • 監査人はまず内部統制(言及率100%)を見て、再計算・証憑突合、システム・配賦へと踏み込む。
  • 経理部は内部統制の文書化と見積総原価・予実差異の整理から着手すると効率的。

まずは自社に近い立場の事例を1件読むことから始めてみてください。

37社のKAM原文を引けるダッシュボードで、原価計算方法や業種を自社の条件に合わせて絞り込めば、来期の監査対応の予習が一歩進みます。なお、個別の会計・監査上の判断は、必ず公認会計士・監査人にご確認ください。

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参考一次情報

KAMから学ぶ論点シリーズ

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