総務部長預かることはできる。でも、中身を見られる人がいない
2026年10月13日、火曜。
始業前の8時40分。
大野部長は、総務部長の席の前に立っていた。
手帳には、先週、店舗開発部で約束したことが書いてある。
契約書の管理のことで、ご相談に来ました。
社長からも、協力するようにと聞いていますよ。
店舗開発部のキャビネットにあります。
総務に届いている写しは、その一部です。
会社として契約を管理する部署を、決めておきたいんです。
ということですか。
預かることはできます。
でも、中身を見られる人がいないんです。
法務の担当もいません。
箱で原本を受け取っても、更新の日も解約の条項も、
誰も追えません。
立ち消えになりました。
交渉する人の手元から原本が離れると、現場が困るんです。
押印の申請簿です。
会社の印を押す契約は、全部うちを通りますから。
契約が漏れていないかを確かめる手がかりになります。
毎月、写しをいただけますか。
ただ、部長印で結べる契約は、うちを通りません。
職務権限で、部長の決裁で済む覚書もあるはずです。
部長は、手帳の「総務部長と相談」の横に、「部長印」とだけ書き足した。
店舗開発部長原本は、交渉する人の手元に
今朝も20店分、約束より早く届きました。
経理に急かされてる、と言いながらね。
今日は、契約書の置き場所のご相談なんです。
原本は、ここに置かせてください。
原本が手元にないと、交渉の場で困るんです。
お願いしたいのは写しです。
結んだとき、変えたとき、解約を通知したときに、
写しを経理に回していただけないでしょうか。
ただ、うちで別の台帳をつけろと言われたら、断りますよ。
担当はもう手一杯です。
店舗開発部には、
写しと一枚の回付票だけお願いしたいんです。
項目が増えないなら、やりましょう。
造作の覚書は、どなたの印で結んでいますか。
小さな変更に、いちいち社印は使いませんから。
話が終わりかけたとき、店舗開発部長が声を落とした。
経営企画から図面を頼まれたので、
だいたいの話は聞いています。
決まったら、私から言います。
部下に言う順番は、こちらで決めさせてください。
うちの担当も口止めをしていて、今朝、
そちらの担当の方に聞かれて、
何も答えられなかったそうです。
経理に聞いても答えられないことはある、
と担当には言っておきます。
理由は言いませんけどね。
席に戻る廊下で、部長は考えた。店舗開発部長には私から話す、とハルカに言ったのは、ほんの数時間前だった。その順番は、もう部長の手を離れていた。
写しの通り道待つ確認と、支払の側から見る確認
……それは、押印の申請簿ですか。
総務部長が、さっそく出してくれた。
覚書20店分のうち、
申請簿に載っていたのは3店だけだったよ。
残りは、どうなっているんですか。
部長の決裁と部長印で結んでいた。
だから総務を通らないし、写しも届かない。
原本は、店舗開発部のキャビネットにしかないんだ。
やっと分かりました。
総務には中身を見る人がいないし、
店舗開発部は交渉で原本を使う。
その代わりに、これを書いた。
倉庫の物流委託のように、
特定の資産を使う委託も入れる。
リースが隠れているかもしれないからね。
……でも、回ってくるのを待つだけだと、また漏れませんか。
賃料を払っている先の一覧と契約の一覧を突き合わせれば、
写しが来ていない契約に気づけます。
それは、経理にしかできない確認だ。
四半期ごとに入れよう。
……8人の部で、また一つ仕事が増える。
所管を決めてもらえば、もっと楽になるのに。
でも今決めてもらうと、
回す人のいない部署に押しつけることになる。
誰の手が足りないかを数字で持っていく。
一枚にするのは、それからだ。
所管は、決まらないまま。
それでも、写しが通る道だけは、今日、できかけている。
エレベーター答えていなかった問い
さっきの質問に、答えていなかったね。
私の方こそ、言い過ぎました。
あのままでいいとは、私も思っていない。
参考の行が割愛されたのは、私が1行に縮めたからでもある。
10分もらえないか頼んでみる。
参考の1行を戻せないか、もう一度話すよ。
A店は、閉店の判断とは別に、
中間決算で経理が減損の兆候を検討していると。
ただ、言い方は選ぶよ。
経理が閉店を後押ししているように聞こえないようにね。
エレベーターが、1階で止まった。
経営企画から図面を頼まれたそうだ。
担当の方には、決まってから自分で話すと言っていた。
でも、覚書を早く持ってきてくれたお礼は、
まだ言えていない。
明日の朝、一緒に行こうか。
行きます。
鞄の中の一枚決めなかった所管と、送ったメール
駅へ向かうハルカを見送ってから、部長はスマートフォンで経営企画にメールを送った。
資料の「参考」の1行の件です。A店の減損の兆候は、閉店の判断とは別に、中間決算で経理が検討します。経営会議で質問が出たときの答え方も、事前にすり合わせさせてください。
返事は、まだ来ていない。
鞄の中には、昼に書きかけた社長宛ての一枚が入っていた。
題は「契約管理の所管について」。
部長は、題の横に小さく書き足した。
原本の置き場所は、決まらなかった。
決まりかけたのは、写しが通る道だけだ。
- 契約管理の所管 ── 決めずに保留。回付を3か月回し、漏れと人手を数字にしてから社長に一枚
- 契約書の写しの回付ルール(第0版) ── 金曜の部会で説明し、店舗開発部・総務と調整
- 部長印の覚書 ── 総務の押印申請簿に載らない。回付票と支払との突合で拾う
- 台帳を一本にするか(Excelかシステムか) ── 要件を書いて先生に相談(今週中)
- 経営企画への申し入れ ── 14日の事前検討の前に、参考の1行を戻せないか(返事待ち)
- 店舗開発部の担当 ── 閉店の話は店舗開発部長から。覚書のお礼は明日の朝、部長とハルカで
この話の、二人の反省と学び
契約書の写しの回付ルール(案)第0版 全文大野部長が相談を踏まえて夕方までにまとめた下書き
この物語の会社(架空)で、大野部長が総務部長・店舗開発部長との相談を踏まえて、その日の夕方までにまとめた社内ルールの下書きです。原本を一か所に集めるのをやめ、原本は動かさずに、写しと要点が経理に届く道を先に作ろうとしています。実在の会社の文書ではありません。自社でひな形として使うときは、職務権限・文書管理の規程や、契約の数・部署の人手に合わせて変えてください。
店舗等の契約書の写しの回付ルール(案) 第0版
1 目的
- ① 新しいリース会計基準の適用(2027年4月1日の期首)に向けて、リースを含む可能性のある契約を漏れなく把握する
- ② 原本の保管場所は変えない。契約の締結・変更・解約の通知があったとき、写しと要点(回付票)が経理財務部に届く道をつくる
- ③ 契約の管理を所管する部署は、このルールを3か月運用した結果(回付の漏れ・必要な人手)を踏まえて、改めて社長に諮る
2 対象とする契約
| 区分 | 対象とする契約 | 補足 |
|---|---|---|
| 不動産の賃貸借 | 店舗・事務所・倉庫・駐車場の賃貸借契約と、その覚書・変更契約・更新の合意書 | 覚書は部長印で結ぶものも含む |
| 特定の資産を使う委託 | 物流倉庫の運営委託、専用の設備を使う製造・加工の外注など | リースを含む可能性がある(契約の中身で判定) |
| 機器・車両 | リース・レンタル契約(期間・金額を問わない) | 短期・少額の簡便的な取扱いを使うかは、判断基準書に基づき経理財務部が判定する(回付の段階では除かない) |
| 子会社 | 子会社が結ぶ上の三つ | 展開の時期は未定(未決事項②) |
3 回付の時機
- ① 締結・更新・変更(覚書を含む)・解約の通知(送ったとき・受けたとき)から5営業日以内に、写しと回付票を経理財務部に回す
- ② 会社の印・部長印のどちらで結んだ契約も対象とする(部長印の契約は、総務の押印申請簿に載らないため)
- ③ 回付するのは写し。原本は、従来どおり各契約を所管する部署が保管する(店舗の賃貸借契約は、当面、店舗開発部)
4 回付票の項目
| 項目 | 記入の内容 |
|---|---|
| 契約の名称・相手方 | 契約書の表題、貸主・委託先の名称 |
| 物件 | 店舗名・所在地、倉庫・設備の名称 |
| 契約期間と更新の定め | 始期・終期、自動更新の有無、普通借家・定期借家の別 |
| 解約の定め | 中途解約の可否、予告期間(例:6か月前) |
| 賃料・料金 | 月額、改定の条件、売上に連動する部分、最低保証の有無 |
| 造作と原状回復 | 造作の取扱い、原状回復の範囲、免除の条件(覚書を含む) |
| 敷金・保証金 | 金額、返還の条件、原状回復費用との相殺の定め |
| 今回の事由と日付 | 締結・更新・変更・解約の通知の別と、その日付 |
| 原本の保管場所 | 部署とキャビネット |
| 記入者・回付日 | 店舗開発部などの記入者と、経理財務部への回付日 |
5 経理財務部の確認
| 確認 | 頻度 | 担当 | 見るもの |
|---|---|---|---|
| 回付票の受付と、リースの一覧への反映 | 都度 | ハルカ | 回付票と写し。リースを含むかの判定は判断基準書による |
| 押印申請簿との照合 | 毎月 | ハルカ | 総務の押印申請簿の写し(部長印の契約は載らない) |
| 支払との突合 | 四半期ごと | ハルカ(部長が確認) | 賃料・リース料・委託料の支払先一覧と契約の一覧。支払があるのに写しが来ていない契約を探す |
| 回付の漏れの報告 | 四半期ごと | 大野部長 | 漏れの件数と原因を店舗開発部長・総務部長に共有 |
6 未決事項
- ① 契約の管理を所管する部署(総務・店舗開発部・経理財務部のいずれか)── 3か月運用したあとに、回付の漏れと必要な人手を添えて社長に諮る
- ② 子会社への展開の時期と方法
- ③ リースの台帳を一本にする方法(Excelかシステムか)と、店舗開発部の表との関係
- ④ 回付票の様式(紙か電子か)と保管の方法。項目が現場の負担にならないか(運用しながら見直す)
- ⑤ 職務権限規程・文書管理規程との関係(規程にするか、部署間の申し合わせにとどめるか)
- ⑥ 回付を受ける人が不在のときの代わり(当面は部長とハルカの二人)
この話に出てきた知識・前後の話
- 契約の識別 ── 委託やサービス契約に含まれるリース ── ハルカの学習ノート ── 設例・識別編
- リースかどうかを判定する(特定された資産・使用の支配) ── リースかどうか5問で判定(判定ツール)
- 解約の通知・契約の変更とリース期間の見直し ── ハルカの学習ノート ── 設例・契約変更・見直し編
- 減損の兆候(営業損益の継続的なマイナス) ── 減損会計ラボ ── 兆候・判定・測定をシミュレーションで
- 判断基準書・社内ルールの文書化 ── 会計方針書ジェネレーターβ
- 80件の判断を組織でそろえる(リース期間の判断基準・役割分担) ── リース会計ラボ【部長編①】80件のリース期間を、担当ごとにばらつかせない
前の話:第4話(10月12日)|閉じた場合と、続けた場合 / 次の話:第6話(近日) / 記録ページ(年表・会社のいま・話数一覧) / ハルカの学習ノート(リース会計ラボの章)
この物語は、上場企業の経理財務部の実務をモデルにしたフィクションです。登場する会社・人物・団体は架空のもので、特定の監査法人・企業・製品の手続や見解を描くものではありません。会計・税務の記述は公認会計士・税理士が監修しています。製品名・サービス名は本文に出てきません。
