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経理財務部の物語 第1話(9月9日)|80件の契約書は、誰が読むのか

経理財務部の物語 第1話 アイキャッチ(日付補正)
経理財務部の物語第1話2026年9月上旬・本社 経理財務部/先生の事務所次:第2話|調査票の空欄
この話の中心大野部長登場大野部長・ハルカ・先生前の話なし(第1話)
舞台の会社について(開く)
架空の製造小売。グロース上場・3月決算・子会社3社。店舗68・賃貸借契約80件・経理財務部8人。来期(2028年3月期)から新リース会計基準が強制適用になる。年表・会社のいま・話数一覧は 経理財務部の記録 に。会計の知識は各話の末尾「この話に出てきた知識」からラボと学習ノートへ。
1

三日で八件

9月契約書 80件第2四半期資金繰り表2026年9月上旬。中間決算を前にした机の端に、80件。

「部長、資金繰り表の確認、まだでしょうか」

大野は画面から目を離した。机の端に、店舗の賃貸借契約をまとめた一覧表が開いたままになっている。来期から始まる新リース会計基準の対応で、読まなければならない契約が80件。確認済みの欄に印が付いているのは、まだ8件だった。

3日かけて、8件。残りは72件。

第2四半期の見込みを固めながら、合間に自分で1件目から読み始めた。このままなら、あと27日。その27日を部長が一人で抱えれば、決算と資金繰りという本来の仕事が止まる。

本当は、春に始めているはずの仕事だった。「中間が終わってから」と言っているうちに、9月になっていた。

部下に任せる案は、頭にある。だが口から出るのは「任せて間違っていたら、結局自分が直す」だった。2年前、子会社の決算整理を若手に任せて、監査で直しになったことがある。直したのは自分で、若手はその年の冬に辞めた。

ハルカには先週、80件の契約条件を一覧に整理する作業だけを頼んである。期間、賃料、更新条項。判断の要る項目については、まだ回答を求めていない。

ハルカは先月、新リース基準の研修と設例の演習を終えたばかりだ。部長はそれを知っている。知っているから、余計に迷う。

2

先生の事務所

3つの案A中間決算の帰り、先生の事務所。
その日の帰り、部長は先生の事務所に寄った。先生は昔、部長を学習室で教えた人で、今はこの会社の顧問をしている。
大野部長
お疲れさまです。
少し相談させてください。
新リースの契約が80件あります。
3日で8件。
このまま自分で抱えると、決算と資金繰りが止まります。
先生
お疲れさまです、大野さん。
中間決算を前に、よく来ましたね。
案は持ってきているんでしょう?
大野部長
3つ考えてきました。
自分が全件やる。
担当に全件任せる。
外部に委託する。
先生
聞く前に、一つだけ正直に言いますね。
9月に着手するのは、やはり遅いです。
大野部長
……分かっています。
来期の予算は年明けの取締役会で決まります。
財務制限条項に触れるかどうかも、
期が変わる前に銀行に話しておかないと手が打てません。
先生
そこまで見えているなら、私から足すことはありません。
3月期の決算で未適用の基準の影響を注記で聞かれる、
というのもご存じでしょう。
大野部長
はい。
年内に数字を持つのは、
注記の要件ではなく経営判断として決めます。
それで、3つの案はどう見えますか。

先生は答えなかった。湯飲みを置いて、少しだけ間を置いた。

先生
案の話の前に、一つ聞かせてください。
2年前の若手の件、覚えていますか。
窓の外が暮れていく。
大野部長
……忘れられるわけがありません。
先生
あのとき、何を基準に判断するか、
先に決めて渡していましたか。
大野部長
……いえ。
任せれば分かるだろうと思っていました。
分からないところは聞きに来るだろう、と。
先生
来ましたか。
大野部長
来ませんでした。
最後に私が見て、判断がばらばらで、直しました。

能力の問題だった、と部長はずっと思うことにしていた。そう思わないと、辞めた理由が自分に戻ってくるからだ。

先生
今回も、同じことをしますか。

部長はしばらく黙っていた。3つの案を書いた紙を見て、それから顔を上げた。

大野部長
……私は、任せること自体を間違えたと思っていました。
そうではなくて、任せ方を間違えていた。
判断の基準を、先に渡していなかった。
先生
そう思われるなら、それが4つ目の案ですね。
1. 自分が全件やる部長しか分からない台帳2. 担当に全件任せる店舗ごとにばらつく3. 外部に委託する理由が社内に残らない4. 基準書を先に → 担当が当てはめ → 例外と抜き取り3つとも穴がある。4つ目を書き足す。
大野部長
基準を私が先に書く。
担当はそれに当てはめる。
私は迷った案件と、通常案件を何件か抜き取って見る。
先生
ええ。
それから、契約書の数より時間がかかるものがあるんですが、
何だと思いますか。
大野部長
契約書に書いていないもの、ですね。
店舗の造作、口約束の更新。
……それと、賃貸借という名前ではない契約。
うちはEC・物流の子会社に倉庫と設備を使わせています。
先生
さすがです。
80件は「把握している80件」であって、
全部ではないかもしれません。
店舗開発部と物流子会社を、
最初から巻き込むことになりますね。
大野部長
経理の中で頑張っても縮まらない部分ですね。
社長から一言もらうことにします。
先生
ええ。
それと、ハルカさんが今どう思っているかは、
私には分かりませんよ。
そこは大野さんが見るところです。
3

二十件

20件 / 2時間相手先の名前・賃料翌週。契約書20件を、個人のAIに。
翌週。経理財務部。第2四半期の見込みの資料が机に積まれた午後、ハルカが報告に来た。
ハルカ
部長、頼まれていた契約条件の一覧、
期間と賃料の抽出をAIで試してみました。
20件で2時間でした。
大野部長
お、早いね。
結果はどうだった?
ハルカ
期間と賃料と、更新条項があるかどうかは取れました。
でも「更新が合理的に確実か」は出てきません。
造作のことも、出店計画も、契約書に書いてないので。
大野部長
そうだね。
抽出は任せていい。
判断はこちらでやろう。
……ところで、その20件、どこのAIに入れたのかな。
契約書には相手先の名前と賃料が入っているよね。

ハルカの手が止まった。効率化できた、と思って報告に来たのだった。何を聞かれているのかが分かるまで、少し時間がかかった。

ハルカ
あ……。
個人で使っているものに。
大野部長
いったん止めよう。
残りの60件は入れないでおいてくれるかな。
ハルカ
……はい。
大野部長
どのサービスか、ログインの方式、
入力が学習に使われる設定か、データがどこに保存されるか。
今日中に総務と情報システムに報告しよう。
一緒に行くよ。
開示システム締切まで 3日総務情報システム担当は、総務と兼務で一人。
ハルカ
消したほうがいいでしょうか。
大野部長
削除は私たちだけで決めないでおこう。
まず情報システムと一緒に、
利用履歴・送信した内容・保存の状況を確認して記録を残す。
消すかどうかはその後だね。

ハルカは「はい」と言おうとして、声が出なかった。取引先の名前が入った文書を、自分の判断で外に出した。そのことが、いま初めて形になった。

大野部長
試したこと自体は、いいことだよ。
ただ、
取引先の名前と賃料が入った文書を社外のサービスに出した。
これはハルカさん自身が、
情報の扱いとして持つ責任
だね。
ハルカ
……はい。
大野部長
同時に、入れていい文書の範囲と使っていいサービスを、
部として決めていなかった。
それは私の管理の責任だ。
今日中にできるのは報告と確認の依頼までだけど、
そこまでは一緒に進めよう。
ハルカ
確認が取れたら、また使ってもいいですか。
大野部長
サービスの設定と契約の条件が確認できてからだね。
使うなら、抽出結果は全件、契約書と突き合わせる。
AIが読み違えた1件が、そのまま台帳の1行になるからね。
残り60件・入れない20件確認中
ハルカ
はい。
……確認の工程が増えますね。
大野部長
増える。
その代わり、読む時間が減る。
楽になるというより、
仕事の種類が変わるんだと思うよ。

情報システム担当は総務と兼務で、一人しかいない。中間決算に向けたシステムの準備を抱えたまま、「利用履歴を取り寄せます。回答は来週になります」と言った。

部長は礼を言って席に戻った。20件の契約の相手先の名前が、どこかのサーバーに残っているかもしれない。それを決めていなかったのは、自分だ。

4

決める

1. 契約の収集と洗い出し2. 判断基準書3. 識別とリース期間4. 割引率・影響額5. 監査法人と事前協議6. 取締役会7. 仕組み化・期首残高

その夜、部長はA4の紙に、やることを7行書いた。契約を集める。判断の基準を書く。当てはめる。試算する。監査法人に相談する。取締役会に説明する。来期から回る仕組みにする。

基準は自分が10日で書く。当てはめはハルカが主担当で11月末。迷った案件は週に1回まとめて全部持ってきてもらい、通常案件も毎週何件か抜き取る。契約の収集は店舗開発部と物流子会社に頼み、社長には明日の朝いちばんに一言お願いする。

書き終えて、紙を見た。自分で80件読むのをやめる、と書いてあるのと同じだった。

2年前は、任せて、見なかった。今回は、基準を渡して、見る。それで間違っていたら、直すのは自分だ。そこは2年前と変わらない。変わったのは、その前にやることだった。

契約一覧 80件翌朝。
翌朝。部長がハルカに一覧を渡す。
大野部長
リース期間の判断、もうできそうかな。
ハルカ
はい。
普通借家の設例と、戦略店舗の10年の設例まで、
演習でやりました。
大野部長
先週お願いした80件の一覧、残りも進めてほしい。
判断が要る欄は空欄でいい。
基準書は10日で書くから、そのあと一緒に当てはめよう。
ハルカ
……判断まで、私が担当するんですか。
大野部長
全部を一人で、じゃないよ。
迷った案件は私が見る。
間違っていたら、直すのは私の仕事だ。
……私も昔、あの学習室で同じところで迷ったな。

ハルカは一瞬だけ顔を上げた。部長はそれ以上何も言わず、次の契約書に目を落とした。

結び

一行目

ハルカは席に戻り、契約一覧の1行目を開いた。契約開始日、賃料、更新条項。契約書に書いてある項目は、埋められる。

その右隣にある「更新が合理的に確実か」という欄で、手が止まった。空欄でいい、と言われている。それでも、設例でやったのだから何か書けるはずだと思った。

まだ、何も書けなかった。

学び

この話の、二人の反省と学び

ハルカの反省と学び
1書いていない欄は、自分で材料を集めに行く
契約書に書いてある項目(期間・賃料・更新条項)は埋められる。書いていない「更新が合理的に確実か」は、造作や出店計画を見に行って判断する仕事
2外に出した文書の責任は、自分にある
効率化は良い。ただし取引先の名前と賃料が入った文書を社外のサービスに出した。部の確認が取れるまで使わない
3空欄のまま出すことも、仕事の一部
80件を「全部一人で」ではない。判断の要る欄は空欄で出し、基準書ができてから部長と当てはめる。空欄は未熟の告白ではない
大野部長の反省と学び
1間違えたのは「任せたこと」ではなく「任せ方」
2年前は、判断の基準を先に渡さずに任せて、最後に自分が見た。今回は基準を自分が書き、渡してから任せる
2例外と抜き取りを見る。直すのは自分
担当が当てはめ、部長は迷った案件と通常案件の抜き取りを見る。見落としがあれば直すのは自分。変わったのは、その前にやること
3決めていなかったルールは、管理の責任
AIに入れていい文書の範囲とサービスを、部として決めていなかった。個人の責任と分けて、両方を引き受ける
→

この話に出てきた知識・前後の話

この話に出てきた知識(学ぶ世界へ)
経理財務部の物語|第1話|2026年9月上旬
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この物語は、上場企業の経理財務部の実務をモデルにしたフィクションです。登場する会社・人物・団体は架空のもので、特定の監査法人・企業・製品の手続や見解を描くものではありません。会計・税務の記述は公認会計士・税理士が監修しています。製品名・サービス名は本文に出てきません。

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この記事を書いた人

TaxJudge編集部|公認会計士・税理士(実務25年)による企画・監修。会計基準・税法・裁決・有価証券報告書などの一次情報をもとに、検索できるデータベースと計算・判定・文書作成ツールを制作しています。