抜き取り5件のうち、2件に誤り
2026年10月15日、木曜。
朝8時半。
大野部長は、契約の読み取り表と、キャビネットから借りた原本の束を机に並べていた。
九月、ハルカがAIで読み取った20件。
10月上旬の部会でAIの利用ルールを決めたあと、部員二人が手で読み直している途中だった。
部長は毎朝、その中から何件かを抜き取り、原本と突き合わせている。
3件目で、部長の手が止まった。読み取り表の解約の欄には「中途解約不可」とある。原本の最後のページに、小さな字の特約があった。
本契約を解約できる」……。
AIで読んだ1件だった。本文の条項は拾っていたが、末尾の特約を読んでいなかった。
5件目は、手で読み直した1件だった。賃料の欄の金額が、原本の年額をそのまま月額の欄に書いていた。
部長は、固定資産担当を席に呼んだ。手で読み直している二人のうちの一人で、部会で「年内に終わりますか」と手を挙げた部員だった。
この2件、見てくれるかな。
こっちの賃料は私が読んだ分で、
年額を月額の欄に書いてます。
すみません。
抜き取りは、こういうのを見つけるためにやっている。
言っていいですか。
手で読んでも、こうやって間違えるんです。
今の手作業だと、80件と覚書は年内に終わりません。
その意見は、半分正しいと思う。
残りの半分は、昼に話そう。
その前に、ハルカさんと話しておきたいことがある。
小部屋一人の責任にはしない
特約の解約の条項を、読み取りが拾っていなかった。
また、あの20件。
部会で謝って、もう終わったと思っていた。
ハルカさん一人の責任にするつもりはないよ。
確かめないまま一覧に残っていたのも問題だった。
私は最初の日に「全件を原本と突き合わせる」と言いながら、
その手順を作っていなかった。
そこは、私の責任だ。
それは情報の扱いの問題として、別に向き合っていこう。
年額を月額の欄に書いていた。
AIか人かより、
間違いを見つける仕組みがあるかの方が大事なんだと思う。
解約しないことが合理的に確実かを、
もう一度判断しないといけない。
期首に向けた一覧の仮の判断は、
いったん「要再判断」に戻そう。
リース期間が6か月になるわけではないんですね。
契約上の権利だけでなく、造作への投資や、
その店をこれからどうするかも踏まえて、
解約しないことが合理的に確実かを判断するんだ。
1行の読み違いが、リース期間の判断ごと動かす。
部長が九月に言っていたのは、このことだったんだ。
残りの半分AIの利用ルールは変えずに、読み取りと確認の手順を変える
メールには、こうあった。「業務で使えるAIサービスの契約条件と設定の確認は、12月までかかる見込みです。中間決算のシステム対応を優先しています」
その形自体は、たぶん正しい。
3か月後の見直しで、そこに行けるかもしれない。
ルールを今変えたら、決めた理由を説明できなくなる。
全部の項目を同じ重さで読むのをやめる。
二人で読み合わせる。
解約、更新、期間、賃料と最低保証、原状回復。
読んだ原本のページも、票に書く。
その代わり、私の抜き取りは続ける。
二人で読んだ項目は、抜き取りを減らす。
二人で読んでも気づけませんよね。
だから読む前に、
原本と変更契約と覚書と別紙が一式そろっているかを、
まず確かめる。
店舗開発部から届く写しとも照らし合わせよう。
10月末には終わりませんよ。
目標は11月中旬にずらす。
事前相談では、監査法人にもそう説明する。
新リースの台帳をExcelで作るとき、
ハルカさんと二人目になってくれないかな。
使用権資産は、固定資産の台帳と一番近いところにある。
固定資産の締めも、償却資産の申告も、
今は私一人でやってるんですけど。
部長は、すぐには返事をしなかった。固定資産の仕事も、一人で抱えている。属人化は、連結の表だけではなかった。
その話も、明日の部会に出そう。
固定資産の仕事を誰と分けるかも一緒に。
読み合わせ一人では見えないところ
第12条、「賃借人は3か月前の予告で解約できる」。
ページは7。
末尾に特約があります。
「第12条にかかわらず、
契約開始から5年間は解約できない」。
逆向きの特約か。
一人で読んでたら、第12条で止めてました。
5年なら2028年3月31日まで。
新リースの期首の時点でも、
まだ解約できない期間が残っています。
末尾まで見なかったと思います。
……朝は、すみません。
AIのこと、責めたわけじゃなかったんです。
私も、手で読む方が全部正しいとは思っていません。
でも、固定資産のことなら教えられます。
使用権資産の償却を固定資産システムに載せるかどうかから、
決めないといけないでしょう。
二人で読むと、一人では見えないところが見える。
契約書だけじゃなく、台帳も、きっと同じだ。
部会の議題担当不在で止まる仕事を、数える
夜7時。
部長は、明日の部会の議題を書き直していた。
回付票の項目の見直し。
台帳の要件書。
読み取りの手順。
台帳の二人目。
そして最後に、一行を足した。
会議室の明かりは、まだついていた。
ガラス越しに、原本を指さすハルカと、うなずく固定資産担当が見えた。
誰が読んでも、間違える。
だから、二人で読む。
- 読み取りの手順 ── 契約書一式がそろっているかを先に確かめ、重要項目(解約・更新・期間・賃料と最低保証・原状回復)は二人で読み合わせ、原本のページを記録。目標は11月中旬に
- 解約の特約が見つかった2店 ── 期首に向けたリース期間の仮の判断を「要再判断」に戻す(1店は2028年3月31日まで解約できない)
- AIの利用ルール ── 当面は変えない。情報システムの確認は12月。3か月後の見直しで「AIで読んで人が確かめる」形を検討
- 台帳の二人目 ── 固定資産担当に打診。固定資産の締めと償却資産の申告も一人で抱えている
- 要件書 ── 使用権資産の償却を固定資産システムに載せるかを追加
- 明日の部会 ── 回付票の見直し・要件書・読み取りの手順・二人目・担当不在で止まる仕事
この話の、二人の反省と学び
リース契約の読み取り票と確認の手順(第0版)全文誤りが見つかった日の夜に、部長が書き直した手順
この物語の会社(架空)で、契約書の読み取りに誤りが見つかった日に、大野部長が書き直した読み取りの手順です。「誰が読んでも間違える」前提で、まず契約書一式がそろっているかを確かめ、リース期間・リース料・関連する会計処理(資産除去債務など)に影響する項目だけを二人で読み合わせ、原本のページを残す形にしています。実在の会社の文書ではありません。ひな形として使うときは、契約の数・人手・AIの利用ルールに合わせて変えてください。
リース契約の読み取り票と確認の手順 第0版
1 目的
- ① リース期間・リース料・関連する会計処理(原状回復義務に係る資産除去債務の要否・見積額、使用権資産の取得原価など)に影響する項目の読み違いを、台帳に入る前に見つける
- ② 読んだ根拠(原本のページ・条項)を残し、あとから誰でも確かめられるようにする
- ③ すべての項目を同じ重さで読むのをやめ、限られた人手を重要な項目に寄せる
2 読み取り票の項目
| 項目 | 読む人 | 読み方の注意 | 記録 |
|---|---|---|---|
| 契約書一式 | 二人で確認 | 原本・変更契約・覚書・別紙がそろっているか、最新版か。店舗開発部から回付された写しとも照合する。一式がそろわないと、二人で読んでも不足に気づけない | 文書の種類・契約日・適用関係(どの条項を変えたか) |
| 解約・更新の定め | 二人で読み合わせ | 本文の条項だけでなく、末尾の特約・覚書まで読む。逆向きの特約(一定期間は解約できない等)もある | 条項番号・原本のページ |
| 契約期間 | 二人で読み合わせ | 開始日・終了日、自動更新の有無、普通借家か定期借家か。解約できない期間があれば、その終了日(契約開始からの年数を日付に直す) | 開始日・解約不能期間の終了日・条項番号・ページ |
| 賃料・最低保証 | 二人で読み合わせ | 月額か年額か(単位を必ず書く)、改定の条件、売上に連動する部分と最低保証 | 金額の単位・条項番号・ページ |
| 原状回復・造作 | 二人で読み合わせ | 範囲、免除の条件(覚書を含む)。資産除去債務の要否・見積額や使用権資産の取得原価にも影響しうる | 条項番号・原本のページ |
| 相手方・物件・敷金ほか | 一人で | 名称・所在地・敷金・保証金の額 | 原本のページ |
3 読み合わせの手順
- ① 読む前に、原本・変更契約・覚書・別紙が一式そろっているかを確かめ、文書の種類・契約日・適用関係を票に記録する(回付された写しとも照合)
- ② 一人目が読み取り票に記入し、原本の該当ページに付箋を貼る
- ③ 二人目が、重要4項目について原本を声に出して読み、一人目の記入と照らし合わせる(特約・覚書まで)
- ④ 食い違いがあれば、その場で原本に戻り、票に「修正前・修正後・理由」を残す
- ⑤ 二人が票に確認の印を付けて、台帳の入力に回す
- ⑥ 部長は毎週、一人で読んだ項目を中心に抜き取りで確認する(二人で読んだ項目は件数を減らす)
4 見つかった誤りの記録
| 日付 | 読み方 | 項目 | 内容 | 対応 |
|---|---|---|---|---|
| 10月15日 | AIで読み取り(九月) | 解約の定め | 末尾の特約「6か月前の予告で解約できる」を見落とし、「中途解約不可」と記入 | リース期間の仮の判断を「要再判断」に戻す |
| 10月15日 | 手で読み取り | 賃料 | 年額を月額の欄に記入 | 単位の欄を票に追加 |
| 10月15日 | 読み合わせで発見 | 解約の定め | 第12条(3か月前の予告で解約可)だけを読み、末尾の特約「開始から5年間は解約できない」を見落としかけた(契約開始2023年4月1日、解約できない期間は2028年3月31日まで) | 二人で読み合わせ、その場で修正。リース期間の仮の判断を「要再判断」に戻す |
5 進め方
- ① 目標:店舗等の契約80件と覚書の読み取りを、11月中旬までに終える(当初の10月末から変更。事前相談で監査法人に説明する)
- ② 読み手:ハルカ・固定資産担当ほか。誰と組むかは部会で決める
- ③ 九月にAIで読み取った20件は、この手順で全件を読み直す
6 未決事項
- ① AIの利用ルールの見直し(3か月後)。使えるサービスが確認できれば「AIで読み、重要項目を人が二人で確かめる」形を検討する。情報システムの確認は12月の見込み
- ② 回付票(店舗開発部が書く)と読み取り票の項目をそろえるか。また、回付されていない覚書を見つけるため、押印申請簿・賃料の支払記録・所管部署への確認と組み合わせる
- ③ 今回の「要再判断」は、新リースの期首(2027年4月)に向けた仮の判断の修正。適用後に新しい事情でリース期間を見直す処理とは区別して記録する
- ④ 固定資産担当の業務(固定資産の締め・償却資産の申告)を誰と分けるか
この話に出てきた知識・前後の話
- 解約オプション・延長オプションとリース期間(合理的に確実か) ── ハルカの学習ノート ── 設例・リース期間編
- リースの識別と契約の読み方(リースを構成する部分) ── ハルカの学習ノート ── 設例・識別編
- 売上連動賃料と最低保証 ── ハルカの学習ノート ── 設例・特殊なリース料編
- 判断基準書(読み取りの結果をどう判断に使うか) ── 会計方針書ジェネレーターβ
- 80件の判断を組織でそろえる(リース期間の判断基準・役割分担) ── リース会計ラボ【部長編①】80件のリース期間を、担当ごとにばらつかせない
- AIで読み取った結果を人が確かめる(出力のリスク・最終確認) ── ハルカの学習ノート ── AI・クラウド活用ガイドラインラボ 基礎編
前の話:第6話(10月14日)|作れる人が、一人だけ / 次の話:第8話(10月16日)|止まる仕事を、数える / 記録ページ(年表・会社のいま・話数一覧) / ハルカの学習ノート(リース会計ラボの章)
この物語は、上場企業の経理財務部の実務をモデルにしたフィクションです。登場する会社・人物・団体は架空のもので、特定の監査法人・企業・製品の手続や見解を描くものではありません。会計・税務の記述は公認会計士・税理士が監修しています。製品名・サービス名は本文に出てきません。
